ご注文はゴリラですか?

量り売りの総菜屋、並ぶ品々の前に佇むゴリラが1匹。おそらくは番人ならぬ番ゴリラなのであろうがもう少し衛生面その他について考慮してほしいところである。おかず第一希望の筑前煮と俺との間に立つその姿はマスコットとして成立しうる程度の愛嬌を残しつつも、番ゴリラとして泰然とした構えを見せている。無垢さと威圧感を孕んだ視線を照射され続けているうちに食欲および購買意欲は減衰しかけるも、こんなことで筑前煮を諦めてはいけないと決心し前進、すでに取っていた別の惣菜をゴリラに見せつける。恐る恐る近づいてくるゴリラ、それを確認しつつそっと惣菜を地面に置く。要は撒き餌作戦だ。ゴリラが惣菜に興味を向けているうちに筑前煮を我が手に取ろう、という至極簡単な作戦に過ぎない。が、相手はゴリラなので上手くいくだろう、夕餉の一品を無事確保できる喜びに小躍りしながら別角度から目標に回り込むと、すでにそこにいたゴリラと目が合った。何故。脳筋の代名詞としてのゴリラが定着しつつある昨今、頭脳勝負でゴリラに敗北を喫した衝撃は大きい。

にじり寄ってくるゴリラ、またもイノセントな視線に晒される、この時間が辛い。「何かくれるヤツ」として判断されてしまったのだろうか、物言わぬようでいて何か訴えるような単純でいて複雑な表情だ。「ゴリラとエンカウントした時のテーマ曲」が俄かに流れ出す。そこを通してはくれないだろうか、淡い期待を抱いて残っていた惣菜を差し出すとその剛腕に似つかわしくない繊細な手つきで受け取り、また俺の方を見る。母親らしき人物に「何、そのゴリラ気に入ったの?餌付けでもしてるの?」と訪ねられる。違う、これは餌付けをしているのではない。俺が餌付けをさせられているのだ。「でもダメでしょ、うちにはもうゴリラが1匹いるじゃない」そうだった、既に俺の家でゴリラは飼育しているのだった。脳裏によぎる我が家の風景、その中にただならぬ存在感でもって現れる我が家の愛ゴリラ。再び「ゴリラとエンカウントした時のテーマ曲」が流れ出し、すでに流れていたものと不揃いなまま重なってしまう。不和な二重奏が流れ続けている間も番ゴリラがこちらにゆっくりと、着実ににじり寄ってきている。