読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

65 作文作文

日記

作文の授業とかあった。どんなことを書いたかなど一切覚えていないが確かにあった。コーナーに追い詰めてレフェリーの制止も聞かずに浴びせるダメ出しのラッシュ、その果てに出来上がったのは本当に俺の書いた文だったろうか。行事があるたびに感想を書け感想を書けとおっしゃる教師陣、子供の想像力ってすごい、という金言を盾に無人島の木に彫るバツ印のように「楽しかった」「また行きたい」を刻む日々。原稿用紙2,3枚分の文章をセンセに提出したところ余白に赤字で写経されて返ってきた人間が書く原稿用紙2,3枚分の日記が並ぶウェブページがおおよそ10hit/dayなんですけど、ええと、それが数百数千の世界になってくると作文提出したらやっぱり求婚とかされたりするんですかね。今巷で話題の、現役女子大生が書く恋の悩みや日々の出来事を赤裸々に語るブログも、実はあの時頭頂部が赤裸々だった教諭が目を細めつつ舐めるようにして読んでた作文の主だった!とかみたいなことにならないですかね。現在の日記書きとしての地位の差は、あの時の差がそのまま保存されているものなのだ、とか面白いかな~って思ったんですけどやっぱり面白くなかった。これが差ですかな。

読書感想文や夏休みの思い出など、編集者プロデューサー監督付の文章を綴りそのすべてを覚えていない俺だが、唯一小学生に課せられた作文というカテゴリの文章で覚えているものがある、友人が工場見学に行った際の感想文。それぞれ違う小学校に通っていたので直接彼に見せてもらった訳ではなく、武勇伝として聞いただけだが、確かに覚えている。彼のクラスでは、できあがった書いた作文を教諭が添削するでなく児童同士で交換して、みんなの前で音読して発表するという形式をとっていた。彼の文は幸か不幸か、当時の彼がホの字の女の子に読まれることになり「ぼくはこうじょうに入っていくと、どんどんこうふんしていきました。どんどんどんどんこうふんしていきました。どんどんどんどん……」果たして彼女の前世でのカルマは清算され友人の初恋は霧散。指定された分量に達するまで同じ字で埋め尽くすという行為は、教育的観点から見ればコーナーに追い詰めてからのラッシュどころか目つき金的噛み付きのようなもんだが、それでよくねえか。俺は自分が書いた文など何も覚えていないが、今時々会うこともない奴が書いた文章のことを覚えている、何より面白い。そういう文が書きたかった。俺はそういう作文を提出すべきだったのだ。どんどんどんどん……どんどんどんどん……。