55 ピンクの大粒

薬が効いた。

不幸自慢大会になるのでこういう話はあまりしたくはなかったがずいぶんと前から腰痛との共存を強いられる毎日、から脱却とまでは到底いかないだろうが気休めくらいになればいいということで薬局でそれらしい薬を買った。「早く効く」「胃にやさしい」「眠くならない」という三原則や、有効成分を削ってやさしさが半分詰まってるという言質からも、効能に期待するだけ罪なのだと人類はこの記憶を継承する必要がある。ついでにいうと薬の半分はやさしさだが、薬剤師の6割はやくざでできている。これが意味するところとは果たして。

で、効いた。飲んでからやや間を置いてすっくと立ち上がったらいつものひりひりとした感じがない。立つ、座る、歩くという何気ない日常での所作で感じるはずの十字架の重さが無い。薬以外の原因も考えられるかもしれないけど物理法則の範疇に収めて書き起こせる気がしない。ということで薬の効能ということにして妥協点を得たが、あれおっかしいな、こんなに効くという期待を込めて飲んだわけでもないのに、いざ効いてみるとありがたみとはまた別の感情が湧いてくるのはどうしてだろう。オランジーナで流し込んだ錠剤の張り切り具合に意表を突かれて困惑、歯を磨いている間に体勢を気にしなくてもよいという人並みの自由を手に入れたのに。

歯も磨いたのでベッドにイン。気軽に寝返りをうてるのは幸福である、脳に言い聞かせながら己の疑問と闘っていると次第に恐怖に支配され始めた。薬が切れたら俺はどうなる?またやってくる痛覚絶対王政、戦慄と狼狽の日々に落涙を禁じ得ない。飲んだのはこれが初めてではない、しかもオランジーナで飲むという薬理学的にも倫理的にも赤点必至な手段を取ったのも初めてでないので、この辺りから俺のこの錠剤に対する期待値の低さを読み取っていただきたい。何故薬は効いてしまったのか。一度桃源郷を見た人間が、再び地雷原に戻って満足のいく一生を送れるだろうか。俺に必要なのは効能ではなく、気休めだった。アセトアミノフェンではなく、やさしさだった。震えて眠るしかない。