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いつものように風呂に浸かり日々の疲れを出汁として湯に溶かし出している内、鼻がムズムズとしてきた。花粉が飛び交っているという情報も目立たないが、上口蓋がかゆいため舌でべろんべろん舐め回す羽目になったり嬉しくも悲しくもない涙が溢れてきたりと、近頃はどうも花粉症の症状が体に現れる。このくしゃみも症状の一部に違いない、発砲準備のために体に力を入れると今度は喉がイガイガしてきた。花粉症とは鼻だけでなく喉も蝕む呼吸器オーバーキラーなのはいい年なので分かっているつもりだったが、この不意打ちが来ては如何せん。俺はあの時完全にくしゃみの体勢だったし、くしゃみに咳を重ねるマルチタスクはどれだけCPUを積んでいても成せるものではないだろう、そう考えていた。果たして風呂場に反響した音は「えふっ」という号砲一発のみ。その一発で鼻と喉と、俺を支配していた不快感は消え去りスーッと呼吸が楽になっていた。今放たれたのはくしゃみなのか、はたまた咳なのか。

高校時代の漢文のテキストに「渾沌」の話が出てきたことをふと思い出した。渾沌とは読んで字のごとく混沌すなわちカオスを司る妖怪であり目、耳、鼻、口、計7つの顔の穴を持たない。まさにカオスだ。文中、どうにかあって渾沌は偉い人の手で顔に先の7つの穴を空けられるのだが、それによってあっけなく死んでしまう。混沌に意味が付されてはならないのである、という毎度の漢文らしいオチがつけられていた。

俺の今の状況はどうだろう。全裸で一人、己が体から生まれたものに必死こいて頭を巡らせている。今出てきたのはくしゃみか、それとも咳か、はたまた第3の生理現象か。鼻と喉を同時に攻める花粉症の魔の手は去ったが、まだ国に平和が訪れた訳ではない。俺の顔に、7つも穴が開いてしまっているせいで俺の身は混沌の中に落とされてしまった、何とも皮肉なものだ。また聞くところによれば渾沌は自らの尻尾を咥えてその場でグルグルと回り続け、空を見て笑っているらしい。俺に尻尾があればなあ。