炎の打鍵士

またタイピングと関連のある話をする。まるで俺がタイピングがすごく好きな人であるかのような誤解を受ける頻度でタイピングの話をしているが別にそうではない。

左小指がやたらヌメヌメベタベタする。謎の物質により今対面している机も若干のべたつきがあるが、あまり気にならなくなってしまった。それ以上に俺の肉体の一部がベタベタしているからだ。タイピング練習サイトの診断により、一番の苦手指とされている左手小指。タイピングが苦手な指からは妙な物質が分泌されたりするのだろうか、そんな類の呪いは聞いたことがない。キーボードを光にかざしてみると何やら「A」キーにテカリが見える気がしたのでティッシュで拭いてみたりするのだが効果は得られず、依然としてぬめり続けている。Aもまたタイピング練習サイトに苦手キーとしてお叱りを頻繁に受けている箇所なのだがタイピング界の呪いというものは実在するのだろうか、いやそんなはずは。

いつの間にか嫌なヤニでも付着してしまったのだろうか、まあこのキーボード打ちにくい気もするし買い替えるのならば今だろう、ということでキーボードを新調した。メンブレン方式?のUSBのやつ。お値段何と2000円ちょっと、非常に満足しています。☆5つを付けたくなるくらいの打鍵感、アマゾンまで出向いてレビューを付けることも辞さないくらいの。さっそくタイピング練習サイトで長文を打ち付けてみると、これが手も疲れにくいわミスも減るわタイプ速度も上がるわのいいことづくめ。あとは痩せたり仕事がうまくいったり彼女ができたりすればレビューとして満点なのだが、またしても左手小指がヌメつき始めた。どうして。Aの摩擦が他のキーよりも怪しい、またか。再度ティッシュで拭いてみてもやはり効果が得られない。話は聞かせてもらった、呪いというものは確かに実在する!とおためごかしにMMRごっこをしたところで俺の小指は救われない。最近では毎日5回ほど石鹸で手洗いをしている、弱酸性では無理なのか、強酸でもぶっかけた方がいいのか?最近では、といったもののもはやヌメりを感じるたびに洗面台に行くのも億劫なので小指を舐めてティッシュで拭いたりする。俺は毒手でも完成させようとしているのか?バキにそういう話があったでしょ確か。

特にBとかNの辺り

タイピングの練習をずっと続けている。朝な夕な、職場にて衝撃デビューを果たした新人であるところの俺の姿を想像しながらキーを打ち続けている。結果画面に表示される「B+」はこの際見なかったことにしよう。いくつか分かったことがある。俺にブラインドタッチの才能が無いかもしれないこと。もはやブラインドタッチという言葉は廃れ、タッチタイピングという名称に置き換わっていること。それに加えてもう一つ、支持されたとおりタイピングをこなすだけという作業は、それはそれは苦痛を伴うのだということ。やるぞ!という威勢を持って臨むとミス時のビープ音で苛立ちメーターがもりもり上昇するので、自意識にフィルターを入れねばならなくなるのだがこれがいけない。自分の意志の介入する余地の全くない作業とは、まるで掘った穴をまた埋めるようなものなのだ。

何が悲しくてモアイ像やらペットボトルカバーやら自己啓発じみた文章をタイプし続けなければならないのか、これも自意識を薄める要因なのだが。2時間ほど座り続け無心でカタカタ言わせているうちに、スッと後頭部あたりから糸のように魂と呼ぶべきものがするすると抜け出ていくのが感じられたので練習を中断した。評価は大体B+からAの間。アルファベットの上にもランクが存在するので業務用タイパーには程遠い。2時間かけて俺は弱点をただ晒し続けていたのか?結果画面にはランクだけでなくミス数はもちろんのこと苦手なキーまで表示してくれる。様々なキーが壁として立ちはだかっていることが分かるが概ねどのトライでも「A」「E」「O」が並んでいる、見事に母音だらけ。ボインだらけじゃん!などと喜ぶ俺の中の中学生はもはや死滅した。「あともう一回だけ、を繰り返そう」「練習すればした分だけ上手くなる」結果画面におまけで出てくる励ましの言葉ももう見飽きた。自意識を持つと自尊心が失われ、自意識を捨てると魂が失われる。かつてない板挟みの中、ただ一つ分かっていることは、これからもキーを打ち続ける必要があるということだけだ。インターネット老人を自称できるほど長く付き合ってきたがこれほどキーボードと向き合ったことは無いかもしれない。掃除とかした方がいいかな、すっげー汚いこれ。

タイプ:ワイルド

就業するにあたって「ブラインドタッチできるようになるといいよ」といった内容のメールがきたので練習している。キーボードを見て打ち込む→画面を確認する→またキーボードを見るという過程を無駄に踏むよりも画面をずっと見ていた方が効率は格段に上。単純な話。インターネット老人の先鋒を自負しているのにも関わらず踏み込まなかった領域、ブラインドタッチ。左右の人差し指2本スタイルの自己流が社会で通用するとも思えず。ホームポジションホームポジション!(精一杯の知識)

というわけで推奨されたサイトを見て練習を重ねているのだが、一向に上達する気配がない、怖い。「90分でできるようになる」をスローガンに掲げているページとかれこれ3日は向き合っている。自己流が邪魔をしているところもあるのだろうがものの見事にカ行でドン詰まり。はじめのうちは「AEUIO」の位置を覚えよう程度で特に苦も無く、なるほど母音をこれだけの速度で打ち込めれば習得も一日で終わろうと高を括っていたが「健脚」「銀行協会」「鶏口牛後」など降り注ぐ難語の数々に残念!の2文字を叩きつけられ続け、絶望感が鎌首をもたげてきた。ブッブーのビープ音が鳴るたびに初めてキーボードを見ないでタイプを試みた人間に対する憎しみがこみあげてくる。俺はこの文中で一体何度「キーボーフォ」とタイプミスをしたのだろうか、考えたくない、ビープ音の幻聴すら感じられる。パ行の入力のため「p」を押すたびに小指の筋肉が悲鳴を上げ、健康寿命の砂時計からサラサラと砂が流れ落ちるのを感じる。俺の小指はなぜこうも短いのだろうか。

前までの文脈とは全く関係ないが、「戦姫絶唱シンフォギア」というワードがタイプするのにちょうど絶妙な難易度なので10分に一度打ち込んでいる。「せんき」を変換すると「戦記」が出てくるので記を消して姫を打ち直す徹底ぶり。シンフォギアのアニメ本編も見たことは無い。うっかりDVDを借りに行くかもしれない、タイトルをタイプするのが楽しいという理由で。

学生期の終わり

就職が決まった、のと退学が決まった、ので。

いつかの日記で書いた通り日常生活すらままならない体調不良に悩まされ寝る、座る、ときどき立つ、だけで説明できる生活にどっぷり浸かっていた。このままじゃ死ぬぞお前、といった内容の身内からの忠告も「死ぬかも(笑)」で受け流してきたが、とりあえず大学の就職支援科だけでも行けという言葉には従い、就職支援科の「企業合同展に出席してみたら」という言葉にも従い、大企業ばかりでいまいち分からなかった旨を伝えると「大学に来てる求人票にも目を通すべき」とのことなのでその言葉にも従ったところ最終的に就職が決まった。要所だけ搔い摘むと、人に流されているだけ。ものすごく楽をしているように思えるが実際楽なもので、苦労したのは何度か東京へ出向いたり、身の回りのものを揃えたりするのに結構な額が必要だったことくらいか。面接でとんちを強いられる、ぼっちに就活は無理、という体験談を多く聞いていたので如何様な魑魅魍魎が俺を待ち受けているのかと恐ろしくて仕方がなかったのだが本当に何事もなくスムーズに終わってしまった。ドアをノックする回数が2回だとその場で回れ右させられるぞ!と身構え続けていたが、ドアを開けるシーンすら訪れなかった。

ありがたいことに今年度中から働かせていただけるということなので、早々に退学すべく諸々の手続きをすませ、教務の主任である教授と面談をし、そこでありがたい(皮肉などではなくほんとうにありがたかった)お言葉を頂戴し、ついには書類を提出して至る現在。いい思い出があったか?と問われると素直に頷けるわけではないどころか苦しかったことしか出てこないくらいなのだが、人生の4分の1ほどを過ごした場所から自分の名前が消えることに寂しさ、というよりはいささかの違和感を覚えずにはいられない。大学から院に進んだ時には自分が修士の学位を得て終わるのだと思い込んでいたため、現状が他人事のようにしか認識できていない。就業が始まって自分が社会人になるまで、実はそんなに多くの時間は残されているわけではない。どこか旅にでも行くべきなのかもしれない。

水をのむひと

最近は水ばかり飲んでいる。不健康な色素と原料がふんだんに含まれた液体にしか口をつけなかった少年時代を思えばこれは大きな変化だといえる。高校時代、自動販売機で水を購入する友人のことを理解できていなかったのだが今ならば彼と分かり合える気がする。長い時間をかけて俺たちは親友になれたのだ、連絡先は分からないが。

水は美味い。この真実に至るまでやや年月を要したが、自ら進んで水をメインの水分とした訳ではない。当初はただ健康上の理由からだった。気になる腹回り、摘まんでみると伝わるソフトな感覚。日常の所作にどことなく重さが加わった気もする。ファンタスティックな尿の色、とどめは鏡越しに目が合ったたるんだ頬の持ち主。ゆるキャラと言い張るには目の光が絶望的に足りていない。目を閉じれば走馬灯のように浮かび上がる高カロリーな胃の内容物の群れ群れよ。痩せねば。まずは食生活の改善から、と己の現状を認識した時点ではとりあえずお茶を飲むようにしていたのだが「清涼飲料水ばかり飲んでいる」というチェック項目が保健体育の教科書にあったことを思い出す、そして常飲しているお茶のパッケージに刻まれている「品名:清涼飲料水」でトドメ。俺には水だけが残された。

以上のようなややネガティブな理由から水を飲むことにしたのだが、最近になって水そのものの味を感じられるようになってきたのである、歳を取ると体に良いものを美味いと感じるようになるというアレか。まだ若いと自分に言い聞かせ続けてきたものの年齢という数字以上に体がそれに答えてしまっている。ジャンクフードに囲まれた甘い生活を送っていたのにも関わらず骨と皮だけだと揶揄されてきた中学生時代、今まさにそのツケを支払わされているが、水を美味く感じることのできる脳を手に入れることができた。今年は痩せる。そうこうして文章が延びている間にもコップの水が無くなり、また注がれてを繰り返すこと数回。水が美味い。先週あたりから晩飯を抜いて代わりにドライフルーツを摂取する日も出てきた。俺は何になろうとしているんだ、という疑問をかき消すほどにああ、水が美味い……