7枚の銅貨

紙コップの自販機に70円を投入し、70円のオレンジソーダなるものを買ったところ、70円が釣銭受けに出てきたので驚いた。ぼとぼとと返却される銅色7枚、傾けたコップも自ずと止まる。
故障か?そうならばこの70円を持つべき者に渡すべきではないのか?不当に金を持ち去る姿が防犯カメラに収められてでもしていたら臭い飯を食う羽目になるのではないか?幾年かぶりの脳の高速回転、やがてメンテナンス会社のフリーダイヤルの上に見つけた「当たれば全額返金!」の地味な文字。20余年生きて自販機のボタンを押し続け、俺はようやくあたりを引き当てた。らしい。実感が伴わないこのふわふわした感じよ。
様々に原因は思い当たる。故障など不慮の事態に対処しなければならないと身構えていたことや演出などが一切無く、当たったことに気づいたのが事後だったということがまずは挙げられるだろうか。他には全額返金!とスケールのデカい字面を浮かべてはいるものの返ってくるのは高々100円。どっさり積み上げられた7枚の10円玉もどことなく雑な感じがして良くない。10円硬貨の戦闘力を否定する気はないが、7枚並べられたところで買えるものがそれこそ紙コップ入りのオレンジソーダくらいなものだ。
中学校からの帰り道、友人たちと連れ立ってしょっちゅうダイドーの自販機でクリスタルレモンスカッシュを買っていたことを思い出す。あれも当たり付きの自販機で、ボタンを押して購入すると金額を表示していたパネルが4桁のスロットマシーンに早変わり、3つまでは同じ目が来てくれるのだが最後の一つがなかなか揃わない。ただし確率0ということは無く、何度か友人が見事スロットを揃え(という表現が正しいのかは分からないが)もう1本をタダで手に入れる権利を獲得したのを目撃している。500mlのレモンスカッシュを脇に抱えてなお笑顔で次のボタンを選ぶ友人は、確かに羨望の的だった。そして自販機に通い続けた日々の内、俺がその幸運に預かる瞬間は訪れなかった。
当たり付き自販機に関する思い出と言えばあの歓喜の渦だったのだが、思春期、友人達、もう一本選ぶ権利、豪華さ(比較的)という要素があらかた取り除かれたとき、そこにはもそもそと鈍い動きで釣銭受けを漁るサラリーマンの姿しか無かった。今になって思えば自販機の当たりもキャッシュバックという形の方が良いような気もするが、それも缶やペットボトルという形で個包装しておらず、気軽にもう1本という形がとれないが故の策なのだろうか。握った70円を再び自販機に入れるような真似はしなかった。紙コップ一つで今の俺には充分すぎるのだ。

そいつは武者震いだろう

揺れている。

書いて字の如く揺れている、心理的なものではなく物理的に。椅子に座っている時、立ち止まっている時、歩いている時。ケースを選ばず何の前触れもなく体が左右に揺れ出す。視界はぶれ、作業は遅々として進まず、一息入れようとすると歩くのにも細心の注意が必要になるこの状況。秒針を眺めてみたところ概ね1Hzほどで揺れている。隣に工場があるクソみてえな職場デビューを飾ったせいで、ゴウンゴウンと音を立てて動く機械群の振動を受けて建物全体が揺れているものだと思って「何かここ揺れません?」と隣の大御所に思い切って訪ねてみたのだが返答は「え?」のみ。揺れをこらえながら周りの人間を見渡してみても、頭を揺らしながらモニタに向かうものは居なかった。全員がプロスポーツ選手並みの体幹で振動に抗っているということはまさかないだろう。では一体何が揺れているというのか。

俺か?俺が1Hzを刻んでいるのか。♩=120のメトロノームをインストールしてしまったのか、と言えば芸術シーンの人間のような趣も出せるが、いい加減頭を揺らしすぎたせいで吐きそうになってきた。ノイローゼか何かにでもなっちまったのか。社会人辛い、辛いという話を何度も見たり聞いたりしてきたがまさかこれほどとは思わなかった。こんだけ頭揺れてたら辛いよな、社会人。だがしかし、この通過儀礼を通してようやく俺も社会人の仲間入りをできたのだ、というややしこりの残る実感を胸に帰りの電車を待っていると特急が駅のホームを通過するときに猛烈な1Hzに再び見舞われた。時速5、60キロ余りでガタゴト轟音を立てながら駅を通過する鉄の塊、その振動に合わせて自分の体が激しく揺さぶられているのが確かに感ぜられる。残された風圧を身に受けつつしばし唖然とする。過ぎ去る電車を見送る気には全くならなかった。体の揺れが収まらなせいで。

炎の打鍵士

またタイピングと関連のある話をする。まるで俺がタイピングがすごく好きな人であるかのような誤解を受ける頻度でタイピングの話をしているが別にそうではない。

左小指がやたらヌメヌメベタベタする。謎の物質により今対面している机も若干のべたつきがあるが、あまり気にならなくなってしまった。それ以上に俺の肉体の一部がベタベタしているからだ。タイピング練習サイトの診断により、一番の苦手指とされている左手小指。タイピングが苦手な指からは妙な物質が分泌されたりするのだろうか、そんな類の呪いは聞いたことがない。キーボードを光にかざしてみると何やら「A」キーにテカリが見える気がしたのでティッシュで拭いてみたりするのだが効果は得られず、依然としてぬめり続けている。Aもまたタイピング練習サイトに苦手キーとしてお叱りを頻繁に受けている箇所なのだがタイピング界の呪いというものは実在するのだろうか、いやそんなはずは。

いつの間にか嫌なヤニでも付着してしまったのだろうか、まあこのキーボード打ちにくい気もするし買い替えるのならば今だろう、ということでキーボードを新調した。メンブレン方式?のUSBのやつ。お値段何と2000円ちょっと、非常に満足しています。☆5つを付けたくなるくらいの打鍵感、アマゾンまで出向いてレビューを付けることも辞さないくらいの。さっそくタイピング練習サイトで長文を打ち付けてみると、これが手も疲れにくいわミスも減るわタイプ速度も上がるわのいいことづくめ。あとは痩せたり仕事がうまくいったり彼女ができたりすればレビューとして満点なのだが、またしても左手小指がヌメつき始めた。どうして。Aの摩擦が他のキーよりも怪しい、またか。再度ティッシュで拭いてみてもやはり効果が得られない。話は聞かせてもらった、呪いというものは確かに実在する!とおためごかしにMMRごっこをしたところで俺の小指は救われない。最近では毎日5回ほど石鹸で手洗いをしている、弱酸性では無理なのか、強酸でもぶっかけた方がいいのか?最近では、といったもののもはやヌメりを感じるたびに洗面台に行くのも億劫なので小指を舐めてティッシュで拭いたりする。俺は毒手でも完成させようとしているのか?バキにそういう話があったでしょ確か。

特にBとかNの辺り

タイピングの練習をずっと続けている。朝な夕な、職場にて衝撃デビューを果たした新人であるところの俺の姿を想像しながらキーを打ち続けている。結果画面に表示される「B+」はこの際見なかったことにしよう。いくつか分かったことがある。俺にブラインドタッチの才能が無いかもしれないこと。もはやブラインドタッチという言葉は廃れ、タッチタイピングという名称に置き換わっていること。それに加えてもう一つ、支持されたとおりタイピングをこなすだけという作業は、それはそれは苦痛を伴うのだということ。やるぞ!という威勢を持って臨むとミス時のビープ音で苛立ちメーターがもりもり上昇するので、自意識にフィルターを入れねばならなくなるのだがこれがいけない。自分の意志の介入する余地の全くない作業とは、まるで掘った穴をまた埋めるようなものなのだ。

何が悲しくてモアイ像やらペットボトルカバーやら自己啓発じみた文章をタイプし続けなければならないのか、これも自意識を薄める要因なのだが。2時間ほど座り続け無心でカタカタ言わせているうちに、スッと後頭部あたりから糸のように魂と呼ぶべきものがするすると抜け出ていくのが感じられたので練習を中断した。評価は大体B+からAの間。アルファベットの上にもランクが存在するので業務用タイパーには程遠い。2時間かけて俺は弱点をただ晒し続けていたのか?結果画面にはランクだけでなくミス数はもちろんのこと苦手なキーまで表示してくれる。様々なキーが壁として立ちはだかっていることが分かるが概ねどのトライでも「A」「E」「O」が並んでいる、見事に母音だらけ。ボインだらけじゃん!などと喜ぶ俺の中の中学生はもはや死滅した。「あともう一回だけ、を繰り返そう」「練習すればした分だけ上手くなる」結果画面におまけで出てくる励ましの言葉ももう見飽きた。自意識を持つと自尊心が失われ、自意識を捨てると魂が失われる。かつてない板挟みの中、ただ一つ分かっていることは、これからもキーを打ち続ける必要があるということだけだ。インターネット老人を自称できるほど長く付き合ってきたがこれほどキーボードと向き合ったことは無いかもしれない。掃除とかした方がいいかな、すっげー汚いこれ。

タイプ:ワイルド

就業するにあたって「ブラインドタッチできるようになるといいよ」といった内容のメールがきたので練習している。キーボードを見て打ち込む→画面を確認する→またキーボードを見るという過程を無駄に踏むよりも画面をずっと見ていた方が効率は格段に上。単純な話。インターネット老人の先鋒を自負しているのにも関わらず踏み込まなかった領域、ブラインドタッチ。左右の人差し指2本スタイルの自己流が社会で通用するとも思えず。ホームポジションホームポジション!(精一杯の知識)

というわけで推奨されたサイトを見て練習を重ねているのだが、一向に上達する気配がない、怖い。「90分でできるようになる」をスローガンに掲げているページとかれこれ3日は向き合っている。自己流が邪魔をしているところもあるのだろうがものの見事にカ行でドン詰まり。はじめのうちは「AEUIO」の位置を覚えよう程度で特に苦も無く、なるほど母音をこれだけの速度で打ち込めれば習得も一日で終わろうと高を括っていたが「健脚」「銀行協会」「鶏口牛後」など降り注ぐ難語の数々に残念!の2文字を叩きつけられ続け、絶望感が鎌首をもたげてきた。ブッブーのビープ音が鳴るたびに初めてキーボードを見ないでタイプを試みた人間に対する憎しみがこみあげてくる。俺はこの文中で一体何度「キーボーフォ」とタイプミスをしたのだろうか、考えたくない、ビープ音の幻聴すら感じられる。パ行の入力のため「p」を押すたびに小指の筋肉が悲鳴を上げ、健康寿命の砂時計からサラサラと砂が流れ落ちるのを感じる。俺の小指はなぜこうも短いのだろうか。

前までの文脈とは全く関係ないが、「戦姫絶唱シンフォギア」というワードがタイプするのにちょうど絶妙な難易度なので10分に一度打ち込んでいる。「せんき」を変換すると「戦記」が出てくるので記を消して姫を打ち直す徹底ぶり。シンフォギアのアニメ本編も見たことは無い。うっかりDVDを借りに行くかもしれない、タイトルをタイプするのが楽しいという理由で。